僕には人を感動させる文章は書けないのだろうか。

自分は昔から文章を書くのが得意だと思っていた。学校の勉強も一番成績がよかったものは現国だったし、
活字にも小学生の頃から興味を持っていたし、自分になら人を感動させる文章が書けると思い込んでいた。

 

でも現実は違った。

 

言霊を紡ぎだす力は学校の勉強のソレとは全く異なっていて、確かに
出来ないより出来た方がいいのは当たり前なのだが、とかく自分には読ませる文章が書けないのだ。
もっというと文章量が書けないと言った方が適切なのかもしれない。

 

ネットで求められる文章力はイコールワンフレーズで人々を唸らせるものか、
あるいは長文を書くライティング能力に二極化されているように感じる。
個性を没した文章こそが世の中に求められている文章に他ならないと感じるようになった。

 

一方僕はどうだろう。ありきたりなフレーズをありきたりなように使う事しか出来ない。
長文にフォーカスしてみても良く考えたら読書感想文の類は昔から苦手だった。
ああ、そうだ、僕には言葉を形作る力が欠落しているんだ、と思った。

 

先程言霊と言った。言葉には魂が宿っており、我々は言葉に使われている使者なのだと。
しかし今の時代の言葉は大量消費社会の真っ只中。即効性のある言葉だけが生き残る時代だ。
僕の言葉は遅効性。亀だ。兎には決して勝てやしない。つまりはそういうことだったのだな。

 

人は生まれてきた時代を悔いる存在。しかし言葉は待ってはくれぬ。
ならばもう一度僕にチャンスをくれ。下手の横好きでも構わないから。

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